外科医はプロスポーツ選手

「ラッパのマークの・・・」と言えば、正露丸。


お腹を下した時は誰しもが一度はお世話になったことのある家庭薬だろう。あの独特の色の小瓶を開ける時の「うっ」とくる感じは、強烈な「匂いの記憶」として中枢神経の奥深くに沁み込んでいる。


そんな正露丸の製造会社、大幸薬品が、元外科医の副社長の手により感染症対策を手掛ける最先端の医薬関連企業に生まれ変わっていたとは知らなかった。


この元外科医は柴田高氏。大阪大学の第2外科出身で肝胆膵外科手術のスペシャリストだったのが、父の死を契機に病院勤務の傍ら家業(大幸薬品)に関わり、ついには友人が持ち込んだ新規ビジネスの種を見事に花開かせた、というサクセスストーリーである。詳しくは、今週号の日経ビジネス「老舗を変えた三男坊医師」に掲載されている。


この話を読むとどうしても、二重の意味で「外科医の将来」に想いをはせざるを得ない。


一つは、外科医という職業に就いた人にとっての将来、そしてもう一つは外科全体の将来。


元外科医から聞いた話だが、外科医という職業は"眼"が命であり、どんな名医でも老眼が進むとメスを置かざるを得なくなる。「メス捌き」と言うが、実際は「糸捌き」が肝要らしく、その意味で眼の衰えはクリティカルということだ。


となると、一流の臨床能力をキープできるのは50歳くらいまで。あの「孤高のメス」の当麻医師のモデルである大鐘俊彦さんも、56歳でメスを置いている。一人前の外科医になるまでの時間を考えると、平均的には20数年が本当の意味での"現役生活"になる。


限りある将来である上に、訴訟や自らの健康維持という面でも大きなリスクを背負っている。ある意味、プロスポーツ選手みたいなものだ。


そんな外科医は多少なりとも給与面では優遇されているのだろうと思いきや、どの科も基本給は同じ、とは知らなかった。(↓「科別の医者の年収」参照)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3306124.html


こういうのを「悪平等」と言うのだろう。病院経営にもし「事業別損益」を持ち込んだら、相対的に外科系の科が良いはず。急性期病院の経営の成否は手術件数が稼げるか否かにかかっていると言っても過言ではないのだ。


であれば、なおさら配慮ある処遇を外科医に対して行なうのが普通だと思うのだが、そうはなっていない。


おそらく一昔前までは、表に見えない形の「謝礼」が良い意味で補完していたのだろうが、最近ではそれも受け取れない。


せめて、その分でも「ドクターフィー」として診療報酬に放り込まなければ外科全体で沈没してしまう。


こういう話を書くと、「医師たるもの、金銭的報酬を求めるのはけしからん」みたいな手合いが出てくるが、全員が全員「聖人君子」になるのを求めてたら、それこそなり手が減る一方だ。


いかに健全なインセンティブが働くような仕組みを作り上げるか、が外科全体の将来を左右する。診療報酬で点数がちょっと上がっただけで解決できる問題ではないことだけは確かだ。