知る権利、知らない権利

がんに罹った患者さんに対し、どこまで情報をインプットすべきか、というのはなかなかに難しい問題である。


昨夏亡くなった祖母のケースでは、癌であることは伝えたものの、進行の程度、転移の状況、予後の見込み等については子供たち(私から見ると母および伯父・叔母たち)は本人に対しては伏せていた。やはり大腸がんで亡くなった祖父の時に、病状を詳しく伝えた途端にがっくりきて一気に病勢が進んでしまったという苦い思い出があったからだそうだ。


そんな記憶を思い起こさせるような話が今日二つ入ってきた。


一つは、以前にも取り上げたがんの「患者必携」の試作版に対する患者さん側のフィードバック。ポジティブなものも多いが、厳しい現実/見込み等に関し、「そこまで知りたくない」という反応がかなりあることが目を引いた。


もう一つは、ベス・イスラエル病院長のブログ「Running a hospital」への最新エントリー「Not facing odds」。
http://runningahospital.blogspot.com/2010/02/not-facing-odds.html


このエントリーには滑膜肉腫(synovial sarcoma)に罹った父と娘の闘病についての話が載っている。この中で、最も心に残った下りが下記である。(和訳は本ブログ筆者)

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Dad knew there were unpleasant statistics, probabilities, and time frames to be found should he look, but he intentionally did not. In not knowing them, he wasn’t bound by them, he wasn’t limited by them, and he refused to be governed by them.

父は、不快な統計値やら生存確率やら余命やらが見たらそこにあることはわかっていたが、敢えて目を向けなかった。知らないことで、そうしたものから縛られなかったし、制約もされなかった。彼は何よりも支配される事を拒んだのだ。

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最近は「インフォームドコンセント」や「訴訟へのリスクヘッジ」が意識されているからか、医療者からはなるべく多くのネガティブな情報も患者さんに詰め込もうとする傾向にある。


しかしながら、やはり患者により「ネガティブなものも含め自分の病状に関する情報は全部知りたい患者」と「(特にネガティブな情報は)知りたくない患者」がいることは間違いなく、特に後者のタイプの患者さんに余計な情報まで知らせてしまうことが無いようにする手立てが必要だ。


おそらく、疾患名を告げる前に、前もって患者さんの嗜好を把握するくらいしか解決策はぱっとは思いつかないが、ここはかなり工夫が必要と感じる。