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Studygiftへの否定的言説に見る日本の病巣

久しぶりに日本人ってなんだかいやだな〜、と思わざるを得ないものを見た。


<「Studygift」をめぐる賛否>

学費支援プラットフォーム「Studygift」(http://studygift.net/home.php)に対する反応のことだ。いわゆる、「クラウド・ファンディング」の取組の一種で、経済的事情が理由で勉学を継続できない学生に対して有志で資金援助をしようという、非常にユニークかつ注目すべき取り組みだ。

援助対象の第一号が、↓の坂口さんという女性だ。



佐々木俊尚さんのTweetで知ったのだが、この取り組みに対して「賛否両論」なのだそうだ。


「学費が払えないなら俺たちが払う!『studygift』はクラウド時代の『あしながおじさん』なのか」(ねとらぼ記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120518-00000001-it_nlab-inet)を見ると出てくるが、


 ・「支援すべき人はもっと他にいると思う。残念だな」
 ・「死ぬ気で働けば払えるし(略)、そもそも奨学金をもらえなくなる程、成績は落ちない」
 ・「中学高校にすら行けない方もたくさんいます。甘えないで下さい」


という否定的な反応が、肯定的な反応に混じってかなり出ているらしい。


こういう言説をのたまう人たちの深層心理には、たいがい「なんでこんな小娘が100万円もの大金を濡れ手に粟で手に入れられるのか」という「嫉妬」が横たわる。まあそんな方々に対しては、「あなたたち、自分でお金も出していないのに何言っちゃっているんですか?」でおしまいなのだが、実はこの問題、もう少し深い問題が隠れている。




<四の五の言わずに、一人を救うところから始めよう>


件のねとらぼの記事はこう締められている。


実際、坂口さんが言うように、日本にはまだまだ、学費が支払えず大学をやめていく学生は多くいる。今回はまず坂口さんがサポート第1号という形になったが、そうした学生が誰でも平等に支援を受けられるよう、stdygift(ママ)の今後と、継続的なサポートに期待したい。

さらっと読むと読み流してしまいそうな結論だ。だが、私は「そうした学生が誰でも平等に支援を受けられる」のくだりに非常に違和感を覚える。「誰でも平等に」する必要なんてないではないか。


エントリーの機会(門戸)は常に開かれていてしかるべきとは思う。しかし、そこから先は、「自分」をしっかり見せて潜在的な寄付提供者(ドネーター)のココロに訴えることのできる人が資金提供を受ける、で良い。


ただし、オカネ集め終わったからそれで終わりというのではなく、提供された資金をどのように使ったのか、そして自分がそれをどのように社会に還元していくのか、をオープンにしていく試みは必要だと思う。その意味で、Studygiftの仕組みはきちんと配慮をしている。


\5,000の支援をすると

・ニュースレターの配信
授業のことや学生生活のこと、おもしろかったイベントの話など、現役の学生だからわかる今時の学生事情を、私が撮影した写真を交えてメールマガジン形式で伝えます。(週に1回程度の配信を予定)
・サポーター集会
9月と3月の成績発表の時期に合わせてサポーター皆様の前で活動報告を行います。その他、予算がPCの購入や旅行などの臨時予算が発生した場合、私の活動に関する議決などを行います。株主様同士の交流もできる場にしたいと考えています。

すばらしいではないか。これぞ、「Accountability(説明責任)」である。
私的な援助の枠組みなのだから、支援者に対してこれだけの説明責任を果たすのであれば、十分だろう。


「誰でも平等に支援をうけられる」なんていう「幻想の理想」を押し付けるのではなく、救えるところから救っていくという「プラスの発想」こそが物事を本当に変えていく。


他人から支えられているからこそ自分がある、ということを学ぶであろうこの坂口さんは、きっと将来自分が支えられる側に回った時に、誰よりも積極的に他人を、若い人を支えることだろう。そうした「好循環」を生み出す仕組みを創り、支えることこそが、われわれ“大人”の仕事なのだ。四の五の言わずに、応援しようではないか。