この夏、「分都」しようではないか〜東北関東大震災3週間後に想う〜

東北関東大震災の発生から3週間が過ぎた。


不思議なもので、「非常時」はどうも腰を落ち着けてブログを書くという気分になれない。今回の震災後も時間そのものはあったはずなのだが、情報の収集・発信がブログよりTwitterFacebook、メール、TV中心になっていたことに、今更ながら気付く。


少し落ち着いて振りかえることができるようになった今、感じている事をまとめてみたい。



<「最悪を想定して生きること」の意味>


今回の震災では、「想定外」の事態が連続した。


後付けで、「だからこうしておけば良かったんだ」という議論は容易い。しかし、(別に東電をかばう気はさらさらないが)大きなリスクを想定してそれに対して真剣な準備を施す事ほど「言うは易く行なうは難い」ものはない。


実際、9月1日の防災訓練をどれくらいの人が真剣にやったことがあるだろうか?


関東大震災を身を持って経験した人たちは、おそらくその後しばらくは真剣にやっていたであろう。でも、そうしたこともいつしか「過去の出来事」になる。直接経験した人間でないと、その重要性というのはなかなかわからない。


自分自身、阪神淡路大震災を身をもって体験したからこそ、感じている事はある。あの時も、「地震が無い」とされていた関西で起きた。そして、震源近くの断層の上にある建造物はありとあらゆるものが倒壊した。あの直線状に建物が倒れ伏し拉げた光景は実際に現場を見た人間でないとわからない。


日本で住む以上、「大地震」というのはありえないところでありえない規模で”必ず”おきるものと思った方が良い。そう思い極めて以来、住居に関しては細心の注意を払ってきた。耐震設計の建物で、地盤のしっかりしている高台に住む。しかもマンションに住む場合は低層階。倒れそうな家具には転倒防止のストッパーを付ける。水は常にある程度備蓄する。。。


でも、東京の人でそこまで神経質になっている人はあまり見る事はなかった。


僕も関東出身の人間だが、関東の人は地震は経験したことはあっても、阪神淡路大震災級のそれは今まで経験していない人がほとんど。


結局のところ、人間にとって「最悪の事態」というのは「自分の経験値の中での最悪」しかなかなか想定し得ないというのが現実なのだ。




<リスクマネジメントに力が入り辛い組織の習性>


とはいえ、会社組織はそうであっては困る。いわんや、原子力発電所を扱うような電力会社においてをや、と思う人は多いだろう。


だが、大組織の習性として、「リスクマネジメント」というのはなかなか力の入りにくい分野だ。リスクは未然に防ぐことに莫大な価値があるのだが、これは平時では非常に評価されにくい。


野球で言えば、見た目のファインプレーより、守備位置を工夫して簡単なプレーに見せるような内野手とか、長打にする事を防ぐ外野手とかにこそ本当の価値はあるのだが、そういったプレーヤーが正当に評価されにくいというのと似たようなものだ。


実際、リスクマネジメントの部門に「エース」を張っている会社がどれだけあるだろうか?トップがその重要性をたまに口にする事はあっても、実際には「閑職」扱いされている場合も多い。


今回の震災も何年か経つと段々人々の記憶が薄らいでいく。このままだと、ここ1,2年はリスクマネジメントに焦点が当たっていても、またその内、その重要性は東京での活動が中心の組織からは忘れ去られてしまうだろう。




<我々ができることは何か>


では、記憶が薄らぐ前に我々ができることは何か。


僕は、突き詰めて言えば、「東京一都市集中を避け、分散型のネットワーク都市機能を構築する”分都”」に向けて動き出すことに尽きると思う。


集中は効率を生むがリスクには弱い。投資の話でも何でもそうだが、これは「公理」だ。


今回の原発騒ぎが茨城で起きていたとしたらどうだったろう。もしくは、震源が千葉沖くらいだったらどうだったろう。阪神淡路大震災も、今回の東北関東大震災も、いずれも「想定外」の場所で「想定外」のマグニチュードの地震が起きた。この経験をした以上、今後上記のような想定が「的外れ」とは誰も言えないだろう。


そうなった時の東京は間違いなく「惨状」になる。人々がパニックになって一方向に逃げ出す事を想像して欲しい。そして、首都機能が全面的にマヒした時の想像も。


幸か不幸か、夏場のピーク電力の問題が出てきているのだから、手始めに、今夏に例えば政府機能の半分を名古屋や大阪や札幌や福岡に持って行く、といったようなことをしてはどうか。東京に本社を持っている会社も同様の取り組みをしてみたらどうだろうか。


そりゃやるのは大変だろうが、本当に東京が大地震に「直撃」されたらそんなこと言っていられないだろう。大震災が起きたこの年のこうした取り組みこそが、真の防災訓練になるのだ。