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[医療への視点]日本の医療問題の本質(2)〜"Live free or die"〜

<病院は営利を求めている。マネジメント不在で。>


「医療全体の話はとりあえず社会(福祉)主義的ということで理解した。でも、病院は営利を追求している。それによって、医師の待遇はますます悪化している」という声はあろう。Twitterでも、MiriIshinoueさんから「民営はもちろん公立病院も今は『独立法人』となり『金を稼げ』と言われています。」という指摘があった。


確かに病院は営利を求めている。


しかし、それは経営者のトレーニングを受けていない人たちが経営主体となり、戦略不在のまま、「収入を増やせ」「コストを下げろ」と表層的な指示を繰り返しているから現場が疲弊している、というのが現実なのではなかろうか。


戦略的かつ具体性のあるマネジメントが無い中での利益追求が、組織の疲弊を生むのはいずこも同じである。逆に、例えば聖隷浜松とか亀田総合病院といったような経営陣がしっかりしているような施設で、医療従事者たちが果たして疲弊しているのかどうか、ということだ。


そもそも資本主義では、有限の資源を如何に活かして層倍の価値を生み出すか、が問われている。医療でも、資本や医療従事者といった有限の資源を活かすためのマネジメントの巧拙が成否を分けるわけで、資本主義が悪いというより、優秀な経営マネジメントの不在の方が悪いのだ。




<Live free, or die.>


とはいえ、残念ながら一朝一夕で病院のマネジメントが良くなるとも思えない。


ではどうするか。
過労死寸前で働かれている医師の方にとっては喫緊の課題であるはずだ。


重要な処方箋の一つは明確だと思う。特に労働条件が過酷になっている診療科につき、施設間の機能を「集約化」することである。(よく施設の集約化という話が出てくるが、実際に施設が完全合併するというのはハードルが高い。しかし、診療科を住み分けることにより、実際には機能を集約化させることはできる。こちらの方がより現実的であろう)


ではどうやって機能の集約化を達成するのか。


乱暴な意見かもしれないが、私は、特に現場で貴重な戦力となっている医師が自立心を持って、勝手に自分たちで「集約化」を達成すれば良いと考える。


現場で持続可能なローテーションを組むには医師は何人くらい必要なのか。スタッフはどれくらい配置すれば良いのか。地域の中でどの辺りに中核施設を持っておくのが良いのか。どの施設の経営が一番まともそうか。一番良く知っているのは現場の医師であろう。


そして、前回述べたように、供給が不足している状態、即ち医師が「Scarce Resource (希少資源)」だとしたら、本来、医師は交渉力を持っている。フリーの麻酔科医が非常に金銭的に好条件で雇われるケースというのはまさにこの構造による。


だから、自分たちで勝手に「セルフ集約化」してしまえば、よいのである。


医師が辞めると言ったら、困るのは経営者。患者さんは一時的には困るかもしれないが、結果的には喜ぶだろう。
(集約化により不便になる部分は多少は出てくるかもしれないが、例えば産科であれば、車で1時間の範囲にいる限りは、患者さんは結局のところ付いてくるだろう。)


疲労困憊した状態の医師から受けるサービスより、笑顔の医師から受けるサービスの方が患者さんの満足度も高いだろうし、医療ミスも未然に防げる。だから、これは患者さんのためにもなる。


ここでの大前提は、医師が自立し「職場選択の自由」を持つ事にある。医局人事の都合で、自分が働く場所を選べないという極めて「非競争主義的」事情から抜け出せるかどうか、が鍵である。


最後に、先日訪れた米国ニューハンプシャー州の標語をご紹介したい。
“Live free or die.”


自由を希求する意思と行動が、”医療崩壊”に対する一つの処方箋である。