アンジェリーナ・ジョリーの乳房予防切除の”ファッション化”を危惧する

先週海外から届いたビッグ・ニュースと言えば、ベッカムの引退と、アンジーことアンジェリーナ・ジョリーの「予防的乳房切除⇒乳房再建」の告白だろう。

彼女の手記原文が「My Medical Choice」としてThe New York Timesに載っているので、興味のある方はご覧いただきたい。

 

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<称賛の嵐だが。。。>

今回のアンジーの決断に対しての海外での反応は、勇気あるものとして「称賛の嵐」といった感じだった。遺伝子検査の結果に基づいた「Informed Choice」「Empowered Patient」という観点でも確かに画期的だし、新しい医療の在り方を示したとも言える。

一方でこのニュースを受けてか、前立腺でも「予防的手術」を行なう英国人男性が出てきたり、日本でも予防的乳房切除を行なう動きが出てきているというような報道が続いている。

British businessman has his prostate removed over cancer risk from 'Jolie gene'DailyMail

・「乳房予防切除、国内でも 遺伝性乳がん、都内2病院準備」(朝日新聞デジタル)

 

僕自身、アンジーの決断自体にとやかく言うつもりは毛頭ないのだが、とはいえこの遺伝子検査⇒予防的手術の動きがなんだか「ファッション」的に扱われているのには大きな違和感を覚える。

 

<予防的切除でもリスクはある>

将来、癌を発症するリスクが高いとはいえ、予防的切除で取り除くのは、あくまで健康な臓器だ。

確かに乳房という臓器は人間が生きていく上で不可欠な臓器ではない。しかし、手術はリスクゼロではない。かなり広範囲にメスを入れるわけだから全身麻酔はかける。万に一は麻酔事故で死亡する。また、切除に伴ない身体の動きの制約も出てくるだろう。患者にとって不利益ゼロとはとても言い難い。

また、彼女が家族歴のあるBRCA1陽性であることが判った以上、「切らずにそのまま生活する」というオプションを選択した場合、かなり綿密に定期検査をすることで、たとえ罹患したとしても早期発見できる確率はかなり高い。そして、非浸潤癌の段階で早期発見できるのであれば、ほぼ100%治癒する。(「がんをまなぶ 乳がん 標準治療アップデート 診断と予後」の【予後】部分参照)

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/series/study/200807/100176.html

 

こうしたリスク比較の説明がどの程度為されていたのかは知る由もないが、いずれにせよ医学的にはまだ「実験的段階」の治療選択肢であり、そういった説明をすっ飛ばした形で“流行り”のような報道のされ方になっているところに危惧を覚える。

本当のところは、同じBRCA陽性とわかった健常者の内、即時で乳房切除を行なった「予防的切除群」と、定期的に精密検査を受けて罹患が判明した場合はその段階で治療に入る「ウォッチアンドウェイト群」との比較で、予後やQOLを見定めるという試験でもやらない限り、「予防的切除」の評価はできないのだから。

 

<「予防的切除することが善」になってはならない>

もう一つの懸念は、「予防的切除=善」という変な価値観が生まれないかという点だ。

今後、同じように母親という身でBRCA1が陽性ということが判った女性たちにとって、好むと好まざるとに関わらず、アンジーがとった選択というのは一つのアンカー(碇)となる。

「切る」「切らない」という2つの選択肢を並べた時にどうしても、手術に踏み切るという方が「勇気ある選択」に見えてしまうし、「子どもたちのことを考えたら、自分の乳房のことなんてどうでもよいではないか」というのは母親としては説得力のある選択肢だ。今回のアンジーのケースのように夫婦共に十分納得してというケースであれば良いが、例えば、妻は本音ベースでは「切除まではしたくない」と思っているのに夫は「子どものことを考えれば、取ってしまった方が良い」という場合など、妻側に「無言の善行への社会的圧力」がかかってしまわないだろうか。

切除するという決断も切除しないという決断も、同等に重く勇気のある決断だ。だが、どうしても今の文脈だと「予防的切除することが善」というように捉えられてしまいそうなのが気持ち悪い。

今後、もし2つの選択肢の間で悩まれるような方が出てきた場合、そもそも人の価値観は異なるものだし、「切らない選択肢」は医学的にも十分リーズナブルな選択肢だということを声を大にしてお伝えしたい。