1年延命のコストが1500万円?~新薬カドサイラの薬価問題が暗示する未来~

カドサイラという新しい乳がんの治療薬があります。(このブログでは、基本的に一般名で表記しているのですが、カドサイラは「トラスツズマブ エムタンシン」とややこしいので、カドサイラとします)

この薬は、HER2遺伝子変異が陽性のタイプの乳がんで使われるハーセプチンという薬で効果が見られなくなった後に使われる抗がん剤で、治験成績が良好だったことから非常に期待されている薬剤です。

ところが、、、

 「中外 乳がんの抗体薬物複合体カドサイラ 薬価収載見送り」(ミクスOnline)

というニュースが先週ありました。

 

<医療用医薬品の価格は“交渉”で決まる>

このように、承認されたのに薬価収載が見送られるケースの大半は、製薬会社と国との間の交渉でその薬の価格(=薬価)について合意できないために起きます。

薬価が「交渉」で決まるというのは、意外に聞こえるかもしれません。というか、そもそもどうやって薬の値段が決まっているのか、知らない方が殆どでしょう。

細かい話は抜きにして、大体↓の図のような感じで決まります。

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                        (厚生労働省HPより)

 

この図の中にある、「有用性加算」をどのレベルで見るのか、とか、「画期性加算」を認めるのか、認めるとしたらどれくらいのレベルなのか、といったところが、「交渉」の具体的な争点となります。

これは私の推測でしかありませんが、国側は今回、参照薬として現状ハーセプチンの後に使われている「ラパチニブ+カペシタビン」の薬価を見て、それに「有用性加算」で若干の色を付けるといったレベルで薬価提示しているのに対し、中外側は限度額一杯の「画期性加算」+外国薬価調整、もしくは原価算定方式に持ち込もうとしている構図があるのではないか、と見ています。

ちなみに、カドサイラの薬価は米国では、1か月あたり$9,800(約98万円)です。一方、「ラパチニブ+カペシタビン」が日本では大体月額30万円程度かかります。(「抗がん剤にかかる治療」参照)

ざっくりとしたイメージで、ラパチニブ+カペシタビンの薬価の1.5倍(月額45万円くらい)vs3倍(同90万円くらい)、といった感じでの攻防なのではないかと推測しています。

 

<薬価が「カドサイラ化」するとがん患者の命を10年延ばすのに60兆円必要になる>

カドサイラは既存の治療方法「ラパチニブ+カペシタビン」と比べて良好な効果が示されたEMILIA試験の結果を受けて、承認されました。

試験内容を見ると、PFS(無増悪生存期間)は「カドサイラ(TDM-1)」が9.4ヶ月に対し、「ラパチニブ+カペシタビン」が5.8ヶ月。上記の米国のコストをそのまま日本でもあてはめ、無増悪生存期間のみ薬剤が投与されると考えると、コストは921万円vs174万円で、その差746万円。OS(全生存期間)は、中間集計ですが30.9ヶ月vs25.1ヶ月でその差5.8ヶ月。表現の仕方は悪いかもしれませんが、746万円の追加コストをかけて5.8ヶ月生存期間を延ばす、という構図になります。

 

ラパチニブもそうですが、分子標的薬はみんな高額です。「投資対効果」に非常に厳格な英国の保険制度では、大体、QALY(元気に過ごせる期間を1年延長、と考えてください)あたり2万~3万ポンド(320-480万円)を目安にしています。そのため、日本で普通に使われているような分子標的薬が、英国ではかなりの数が保険償還が承認されていません。英国の基準が厳格すぎるという話もありますが、カドサイラのケースだとQALYあたり1500万円以上になることが想定されます。さすがにこのレベルの薬価では「あまりにも高価すぎる」と言えるでしょう。

すごく乱暴な議論であることは承知ですが、カドサイラのレベルの薬価の薬をバンバン認め続けていくとしたら、再発・進行がん患者全体の生命を1年延ばすのに年間どれくらいの金額が必要になるでしょう。答えは、6兆円です。

  1500万円/人・年×40万人(1年間で発生する再発・進行がん患者数推測値)

そして、臨床効果が高くなればなるほど、患者さんはより長く生きられるようになる、つまりどんどん慢性疾患化して、その分コストはかさんでいきます。極端な話、10年長く生きられるようになったら10年後に更に必要になる金額は60兆円です。

医療費が2012年度で過去最高の38.4兆円を突破、とニュースになっているくらいですから、高額な抗がん剤の新薬ラッシュが続き上記のような金額がかかるようになったら、医療保険制度自体が成り立たなくなるというのは、誰の目にも明らかです。

 

<利益は出してもボロ儲けはダメ>

製薬会社には製薬会社の事情があるのは、僕も中にいた人間なのでわかります。薬剤の開発には1品目で大体150-200億円(日本製薬工業協会HPより)と巨額な費用がかかります。新薬開発の成功確率も数%レベルです。新しい薬剤を開発し続けるためにも、承認された薬剤でしっかり利益を上げる必要がありますので、ターゲット患者数が少ない分子標的薬が一般に高額なのはある程度は認められてしかるべきと考えます。

ただ、それもやはり「限度」というものはあるはずで、保険財政の継続を明らかに担保できないようなレベルの薬価にしてはいけない。そんなことを続けたら、結局保険適用から外れて、患者も製薬会社もどちらも「負け」の状況になってしまいます。

実は、↓の記事にも見られるように、高額過ぎる抗がん剤に対しての反発は米国の医師の間でも広がっています。

Cancer Doctors Protest 'Astronomical' Drug Costs (がん治療医が天文学的な薬剤費に対して抗議)

昨年承認された12の抗がん剤の新薬の内、なんと11が年間費用が10万ドル(1000万円)を超えるというのだから、それもむべなるかなです。

どんな業界でもそうでしょうが、特に医療に関わる事業をする場合は、「Profitable(利益が出る状態)」にはなっても「Greedy(ぼろ儲け)」になったらいけない。今回のカドサイラのケースが、日本でそんな批判が巻き起こる前例とならないことを願います。