患者視点で考える開発治験のデザイン(2)

患者にとって、最良の治験データというのは、既存の治療法に対して白黒つけるものであるのに、大半の治験デザインはそうなっていない(ほとんどが”上乗せ”の治験デザイン)。しかし、これを正そうにも製薬会社の資金サポートで収入の多くを賄っているような患者アドボカシー団体が顔を利かせているようでは改善が望めない、というのが前回エントリーの趣旨だった。




<大半が”上乗せ”の治験デザインになるのはやむを得ない>


では、大半の治験デザインが”上乗せ”であるのが、製薬会社の怠慢でありこれ自体悪いことなのだろうか?私はそうは思わない。製薬会社にとって、患者さんに役立つ薬剤をまずは世の中に出す(=開発に成功し、上市する)ことがプライオリティNo.1だ。どんなに有望な薬剤であっても、開発に失敗したら売上はゼロ。ということは、患者さんへの貢献もゼロ。何十億円という巨額の投資のリターンは「ゼロ」なのだ。


従って、治験デザインはどうしても「保守的」なものにならざるを得ないし、そうなると、まずは有用性の証明がし易い「上乗せ」で入る、ということになる。


特に、がんの領域では転移・再発のケースで行なう薬物治療は、殆どがどこかのタイミングで効果が出なくなる。そうなると2次治療・3次治療という「上乗せ」の手段でも患者にとって大きな意味はあるのだ。




<保険者負担の臨床試験>


とはいえ、HeadToHeadの試験が無いと、実際どんな順番で治療を進めるのがベストなのかという答えは出てこない。また、際限なく上乗せの薬剤が出てくると、すべて保険診療で賄うのが本当に良いのかという議論も出てくる。では、どうするか。


一番良いのは、保険者が資金提供を行なって、既存の標準的な治療法と白黒つける試験を進めるということだろう。なぜなら、ここがはっきりすれば、無駄な投薬(=薬剤費)が減ってアウトカムが改善されることが期待できるからだ。


日本の場合は最大の保険者は国という事になるので、国のお金を使って行なわれる様々な治験・臨床試験がこの役割を果たしていくというのが筋だ。実際、JCOG(日本臨床腫瘍研究グループ)では↓のような形で様々な試験が走っていて、ガチンコのランダム化比較試験もかなりの数が入っている。これで十分かという議論は残されているが、こうした動きはもっと評価されて良いだろう。

http://www.jcog.jp/basic/clinicaltrial/index.html


あと足りないのは、こういったJCOGのような組織で、限られた予算の中でどのような試験を優先的に行なっていくのかというところに、患者の視点を十分に反映させる、ということだろう。JCOGの運営委員やプロトコール審査委員の中に患者アドボカシーグループが入って、重みのある活躍ができるようになってきて初めて、真の意味で患者視点の開発治験が実現するのだ。




<患者アドボカシー団体と製薬企業の資金提供>


最後に、患者アドボカシー団体と製薬企業の経済的関係について一言加えたい。


患者アドボカシー団体に製薬企業の資金が入ること自体を毛嫌いする人も多い。しかし、製薬企業が入れるお金がすべて不健全とみなすのは早計だ。大事なのは、目的(大義名分)であり関係性をきっちり公表する透明性であって、それさえあれば、健全な関係を維持できる。米国のアドボカシー団体が前回エントリーで紹介したブログで収入の半分近くは製薬会社からの資金ということでやり玉に挙がっていたが、透明性が担保されていることは逆に評価すべきことなのだ。


一方、製薬会社側も医師との関係と同様、患者アドボカシー団体との金銭的関係について、開示していく流れになっていくことを期待したい。そうすることで、誰に対してもきちんと説明できるお金の入れ方が徹底される。また、患者アドボカシー団体と関係構築する部署は、やはり営利を求める部署(マーケティングや営業)からは独立した形で持つのが妥当だ。(自分自身、製薬企業にいた時はマーケティングにいながら患者アドボカシー業務をやっていたが、やはり見え方としては拙いよなという意識があった)




納得の医療は、コミュニケーションによってのみ成り立つものではない。アクセス可能な治療オプションが最新かつ(理解可能な程度に)シンプルなものでなくてはならないのだ。