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ASCO2012感想記(4)~ASCOの特徴についての考察~

<ポスターセッションの“吟味”>

 

あるデータが発表されたら、必ずその研究のどこが今までにない特徴的なところで、どこが弱点があって、さらに研究結果をどう受け止めて次にどう活かして行ったら良いと考えるのか、という詳細の科学的批評・吟味がきちんとされる。

 

こうしたスタイルはおそらく海外(欧米)の学会に共通したものなのだろうが、日本の学会スタイルに慣れ親しんできた眼には非常に新鮮に映った。

 

特に、いわゆる「ポスター・ディスカッション」が日本のそれとは全然違うスタイルで行なわれているのが興味深かった。

 

一般的に日本の場合だと、ポスター会場をぐるぐる回りながら発表者が発表した後、仕切り役の先生が簡単な質問をしたり周囲からの質問をちょろっと受けたりという感じで、内容の「吟味」には程遠い感じで終わる。

 

一方、ASCOではそもそもポスター発表とディスカッションは切り離されていて、ディスカッションのセッションでは、研究結果を評価する「ディスカッサント」が、各発表に対する科学的批評・吟味を、時間をかけて滔滔と述べていく。

 

それがまた面白いのだ。おそらくディスカッサントの実力がないと研究結果をなぞるだけのしょうもない感じになるのだろうが、力のあるディスカッサントが話すと、ある研究結果が、その領域の科学的発展の中でどのような意味を持ち位置づけられるのか、という「マッピング」が素人でも頭に浮かぶようにしてくれる。

 

日本だと、他の先生の研究にケチをつけるのはいかがなものか、といった感じの“遠慮”もあるだろうし、残念ながらこうした形での客観的批評をきっちり加えられるだけの力量を持った先生がそう多くなさそうなので、なかなか同じようにはいかないのだろう。

 

今回、私が関知する限りでは日本の医師でディスカッサントを務められていたのは、肺癌領域での光冨先生だけだったが、今後、真の意味で国際的な活躍をされる先生が日本からも増えていくことを期待したい。

 

 

<ネガティブな試験結果の持つ意味>

 

もう一つ感心したのが、ネガティブな結果が出た試験でも堂々と発表され、またそれが良い議論を生み出している、ということだ。

 

当たり前の話ではあるのだが、仮説が正しかったかどうかが証明されること自体が科学にとっては大きな進歩なのであって、その意味ではたとえネガティブな試験結果であっても科学の進歩には大いに資することになる。だから、ポジティブな試験結果と同様にネガティブな試験結果がきちんと議論されるというのは普通のことなのだ。

 

ただどうも日本にいると、ネガティブな試験結果は「残念」という色合いで終わってしまうケースが多い気がするし、あまりそれを堂々と議論し合うという風潮がない。

 

「科学」というものに対する「Philosophy(哲学)」の違いがあるのだろうが、前述のポスター・ディスカッションと共に、日本の学会でももう少し採り入れてほしいスタイルである。

 

 

<あと欲しいのは、型にはまらない議論>

 

最後に、ちょっと期待はずれだったことについても述べたい。会場でもっと丁々発止の「議論」が行われるのかなと思っていたのだが、この点についてはそうでもなかった。

 

また、演者もネクタイ締めて型通りにきちんと発表するという感じがほとんどで、「発想の自由度」とか「創造性」とか「人間味」といったところで何か特別なことを感じさせてくれるものは少なかった。

 

出てきた試験結果を「臨床上」どのように取り扱っていくべきかという、もう少しソフトなイシューは必ず出てくる。

 

たとえば、PFSで有意差が出たからAではなくBの薬剤を1stラインで使うべき、というのは科学的には正しい。しかし、例えば、薬剤Aより薬剤Bの方が圧倒的にコストが高い場合、本当にBを使うべきなのか、というのは臨床的/社会的にはグレーゾーンだ。

 

こうした学際的な話に関しては、初日の「肺癌の治療コスト:検査、個別化医療、緩和医療」に見られるようにセッション自体はあっても、議論・質疑応答は意外に盛り上がっていなかった。「型にはまらない」議論ももう少し盛り上がると、1000ドル近くもかかる参加費に本当に見合う学会になるだろう。