TwitterとFacebookの本質〜佐々木俊尚さんの集中講義「ソーシャルメディア徹底理解」を聴いての考察(1)

先週末、ITジャーナリスト佐々木俊尚さんの掲題の講義(8時間!の集中講座)を受けてきた。名著「キュレーションの時代」の作者、佐々木俊尚さんのお話を生で、しかも丸一日聴く事ができるということで、大枚はたいて参加したのだが、期待に違わぬすばらしいセミナーだった。


当日は、ソーシャルメディアの講座ながら「ツダり」は禁止されていたので、このブログでそのエッセンスを紹介すると共に、私なりに考察を深めてみた点を述べたい。


講座は「徹底理解」「活用」「実践」という3本立てだったのだが、今日はまず第一部の「徹底理解」から。


「徹底理解」の中でまず示された枠組が、インターネットの本質的な役割は「つながり」と「情報」にあるというもの。そして良いつながりをどう構築していけるのか、情報をどのようにフィルタリングできるのか、更にはこの2つがどう重なっていくのか、というのが


更に新鮮だった視点が、ソーシャルメディアには「クラスタ型」と「社交型」があるというものだ。前者は日本のSNSに多く見られ、掲示板的なアーキテクチャを持っていて、情報がアーカイブされ易い、という特徴を持つ。


それと比較して、FacebookTwitterは社交型。ニュースフィードが主力コンテンツで、情報はフローとしてどんどん流れ、あまりアーカイブには適さない、という特徴を持つ。


この分け方自体面白い切り口だったのだが、自分自身、どうもFacebookTwitterがソーシャルメディアとして同じセグメントというのがしっくりこなかった。質疑応答での佐々木さんの説明では、「自分が見た図と他人から見た図が違う」という意味で同じだということで一旦は納得したのだが、それでも気持ち悪さが残った。


で、もう一度考え直してまとめてみたのが↓のような図だ。


ここで重要なのは、Mixiは”コト”、Facebookは”ヒト”がベースのネットワークであるのに対し、Twitterは”情報”がベースのネットワーク、ということだ。ここがこの3者の本質的な違いだと思う。出来上がった世界観が「クラスター的」なのか「社交的」なのかは、本質の違いが形として現れるとどうなのか、ということに過ぎない。


Mixiは”コト(関心事)”がベースで繋がっている閉鎖的な圏域がいくつもあるので、まさに「クラスター」というか「サークル」的な世界観になる。そのサークル内で面白いと思われる「こと」に関連した情報しか普通入ってこないし、そうした情報についてサークル内であれこれやりとりされる形になる。


Facebookでは、基本的に自分という人間とのリアルな関係がネットワークのベースとなる。やろうと思えばできるけど、普通、「友人の友人」でも会った事のない人とは繋がらない。だから、Facebookのネットワークの世界は、原則自分のリアルな人間関係の輪の内部に入る。


なので、流す(流れてくる)情報は、”自分”に関連することが主になる。個人のニュース、オピニオン、または面白いと思った事が中心で、それらの情報は殆どが一次的な拡がりで止まる。反応として「いいね!」や「コメント」は返ってくるかもしれないけど、そこから先の拡がりは期待できない。機能としては、TwitterのRTに相当する「シェア」というものはあるのだけど、自分の周りを見渡してみても、「いいね!」は毎日何個も見るけど、「シェア」はまず見かけない。Facebookは「自分メディア」なのだ。


Facebookが革新的なのは、「繋がりの再生」機能だろう。何十年も音信不通になっていた旧友を検索したり偶然見つけたりして繋がり直る、という感動は、やったものであればすぐにピンとくるだろう。さらに、フィードされる情報を見て、「ああ、こいつ、こういう側面もあったんだ」みたいな「再発見」も付加価値だろうし、一旦繋がり直った知人とはFB上でずっと繋がったままでいられるという「維持費用タダ」も大きい。


さて最後にTwitterである。Twitterは前述したように「情報」がベースのネットワークだ。なので、面白い情報は次から次へと伝播(RT、QT)され、その時その時で極めて多次的・複合的に人が繋がる。「情報」という線の上に人が様々な形で乗っかってくる、という世界観がそこにある。


そこで流れる情報は「面白い情報」だ。「面白い」というのは「賛同できる」「嫌悪感を覚える」「感動する」「疑問に思う」「役に立つ」「ひどい」「笑える」。。。といった色んな側面が入ってくる。


Twitterも初期は「XXなう」的な情報フィードが主だった牧歌的な時代があったが、それが震災を機に変わり、「情報基盤」となったという佐々木さんの指摘があったが、震災が「情報がベースになって人を繋げる」というTwitterの本質を顕わにしたということなのだと思う。それまでは、Twitterの本質が「即時性」にあると解釈されていたのだが、「即時性」は「面白み(Interest)」に従属するのだ。「即時的」であっても「面白み」がない情報はTwitter上では価値がない。「XXなう」的な情報は、自分メディア的なFacebookにむしろ親和性が高い。


Twitterの付加価値は、情報との偶然の出会いという意味合いでの「セレンディピティ」、そして、質の高い情報を効率的に収集するという意味で「キュレーション」というものが大きいと考える。Twitterを個人の情報基盤として活用していく上で、後者は特に大事で、「誰をフォローするか」「どんな♯をフォローするか」という「キュレーション」の巧拙で情報基盤としての価値が大きく変わってくる。これを意識してしないと、無駄な情報の海に溺れることになる。何万人もフォローするというのは、Twitterの本質を全く理解していない人の所業なのだ。


かなり脱線してしまったが、佐々木さんに「クラスタ型」「社交型」という枠組みを示して頂いたおかげで、久しぶりに自分の頭の中で使っていなかった回路が使われたような気がする。まずは、佐々木さんに感謝である。