不思議な透徹感を持った子供たち 〜モンテッソーリ教育を目の当たりにして〜

子供を持つようになると、どのような教育をしていくかは多くの場合、親の最大の関心事。
私自身、子供に美田を残す気はさらさらないが、本当に意義のある人生をおくれるように教育だけはやれる限りの事をしてあげたいと考えている。


特に、自分が受けてきた日本の教育体系だと欠けがちな、「アウトプットする力」「自分でミッションを定めて自身を引っ張っていく力」は養ってあげたいなと思っている。


そんな中、最近気になっているのが「モンテッソーリ教育」。妻が色んな教育本を買い込んだりWebの情報を漁ったりして私にレクチャーしてくれるのだが、その特徴的な教育方針に二人とも興味を持ち、「百聞は一見に如かず」ということで、先日とある学校を見学させて頂いた。




モンテッソーリ教育とは>


学校見学の話の前に、モンテッソーリ教育とはどんなものかを簡単に記しておく。


モンテッソーリ教育はイタリアの医師マリア・モンテッソーリが始めた教育手法。子供の中の自発性を重んじ、それぞれの強みにフォーカスして伸ばす事を主眼としている。


案内してくれた先生曰く、「5教科の内、4教科がA評価で1つの教科がC評価だったとして、そのC評価になった教科を何とかしたいというような親御さんには全く向かない教育法」だ。


その結果、画一的な一斉教育はせず、子供一人一人の興味に合わせた形で個別のプログラムが組まれる。そのプログラムを支える教材も特徴的で、子供の五感を優しく刺激するように作られた「教具」と呼ばれる木製の玩具を活用する。


日本の普通の学校で行なわれる管理的な教育手法とはかなりかけ離れている事だけは確かだ。




<透き通った子供たち>


さて、いざ教室を見学してびっくりしたのが、教室のつくりと静けさだ。多彩な教具それぞれの場所に散らばって、各自が「マイスペース」を何らかの形で確保して作業している。そして驚くほど静かなのだ。お互いの集中を乱さないように、大声を出さないことが徹底されているということなのだが、5歳未満の子たちがそんな形で他者に配慮しながら自分の作業に集中している姿は、ちょっとびっくりする。


良く言えば大人びているし、悪く言えば年齢相応の活発さに欠けているようにも見えるのだが、ともかく教室にいた多くの子供たちから何とも言えない「透徹感」みたいなものを感じた。


思うに、「大人になる」という言葉には2つの意味がある。


1つは外界との折り合いをつけられるようになる(社会性を身につける)こと。もう1つは、自分自身の心の中にいかに深く入りこめるようになるかということ。「悟り」とか「自己開発」と言い換えても良いかもしれない。


この両方を自然にできるように促すというのがモンテッソーリ教育の真髄なのだろう。




<内発的なモチベーションが大仕事に繋がる>


「自己開発」を導くという事は、「学問(What)」ではなく「学び方(How)」を徹底的に身につけるということだ。だから、モンテッソーリ教育を受けた子たちは、何かを強制的に学ぶというより、何を学びたいかを自問自答しながら、好奇心に導かれるままに学んでいく。言うなれば、内発的なモチベーションに基いて行動していくのだが、その心のあり方が前述の透徹感に結びつくのだろう。


本当にとんでも無いレベルまで突き抜けていくくらいの仕事をするのは、こうした透徹感を持った人たちなのではないだろうか。実際、モンテッソーリ教育を受けた人の中には、Googleの創業者ラリー・ペイジセルゲイ・ブリン、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス、「マネジメントの父」ピーター・ドラッカー、俳優&監督のジョージ・クルーニーなど、各分野で真に”突き抜けた”人たちがいる。


いざ自分の子供をどうするかについてはまだ悩むだろうが、面白い選択肢であることだけは確かだろう。