日本の会社の採用担当はアホなのか?~茂木健一郎の連ツイに思う~

茂木健一郎さんが怒っている。


珠玉の連ツイを毎日書きつづっている茂木さんだが、このところ、就活がらみで既存の企業と新卒一括採用制度をTwitter上で弾劾している。


茂木さんの本件についての考えは、ブログ「クオリア日記」の「連続ツイート 判断」というエントリーでまとめられている。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/


ここのところ強烈なメッセージが次々と発信されている茂木さんの思想には大いに共鳴するところなのだが、今回の件はちょいと疑問なのだ。採用側って、そんなに”均質”な人材を求めているのかいな、と。日本企業の”採用”をちょっとステレオタイプで見過ぎていやしないか、と。




<企業の人事はそこまでアホか?>


皆同じようなリクルーティング・スーツで、同じような受け答えしかしない学生たち。それが採用側が求めているものとはとても思えない。むしろ、そんな人たちばかりで面白いと思わせる人材が全然いないじゃない。頼むからもうちょっと個性的な人出てきてよ、と思っている採用担当が大半なのではないか、と想像する。


企業の人事やっている人を何人か知っているが、彼らもそんなにバカじゃない。外形的な価値は、多少の足切りの方法論としては使うかもしれないが、あとは結構真面目に面接で「見てるところは見てる」ものだ。茂木さんの言う、「目の前にいるひとりの人間のポテンシャルを、自らの直観で判断」もかなりしっかりやられていると思う。


「外形的価値」を重視するのなら、「入社試験」をやって、その点数の順番で決めて行くだろう(典型は、官僚機構)。それをしないで、こんなにもオカネをかけて膨大な面接プロセスをもうけているのは、まさに人材発掘に「偶有性」を見ているからである。


もちろん、本当にアホな人間が人事にいて、呆れる発言や異常な圧迫面接をしているケースは例外的にはあるのだろう。そんなアホな会社や個人は、固有名詞をオープンにして堂々と事実を記してやったら良い。


学生と言えど、いつ自社の重要顧客になるとも限らないという想像ができない会社に未来はない。そういった話が学生間に伝われば、内定を複数持っているような優秀(?)な人でも、その会社には行かないだろう。いずれにせよ、願い下げいすればよいだけだ。




<学生側にも「戦略」が必要>


一方で、学生の人たちにも問いたい。皆、いつまで日本の大企業が競争力を保てると思っているの?特に、都市銀行とか生保とか、本当に明日があると思って志望しているの?
今の学生の就職希望先とか実際に就職している先を見ていると、時代が逆戻りしている感じで、目眩がしそうになる。昨日もとある企業経営者の方と話をしていて、今時の学生の就職先の「保守化」を感じているのは自分だけではないことがわかった。


安い給料のところだっていいじゃない。それより、いい仕事をどんどんさせてもらって、言い方悪いけど盗めるものがたくさんあるところで仕事しなよ。企業なんて使える人材だと思ったら、仕事はいくらでも付いてくる。特に日本のメーカーの場合は、下っ端でも重要なプロジェクトで仕事させてもらえるのだから。


それで、将来的にきちんとペイしてもらえないのであれば、その時点で別の会社に移るなり独立するなりすれば良い。


厳しい言い方をすれば、給料たくさんもらってぬくぬく仕事しているような会社に皆志望するから、落ちる人がたくさん出ているだけなのではないかな?




<”自己責任”の時代>


最後に、いたずらに「仮想敵」を作ってそれを叩いて満足するメンタリティは捨てよう。これこそが、日本人の弱点だと思う。そんなことで文句言っている前に、やりゃあいいんだよ。幕末の志士達の偉かったところは、大した根拠がなくともともかく“行動”に移すエネルギーがあったところだと思う。


面接落とされたら、見返してやればいい。飲食店のバイトからのし上がることだって、やればできるだろう。それくらいの気骨が無かったら、世界で戦っていけないよ。皆が社会人として大いに活躍する時代は、日本の人口縮小ぶりを考えると、否が応でも世界で戦っていかなければならないのだから。


茂木さんは、既存権力機構なんかぶっつぶせ、とアナーキーを志向している。僕もアナーキーで上等と思っているが、勘違いしてはいけないのは、アナーキーというのは完全自己責任の世界だから、実は個の強さを大いに求められるのだという事。「やりゃあいいんだよ」という書きぶりに、「そういきなり言われても」とできない言い訳を考え始めるメンタリティを持つ人には住みにくい世界なんだ。