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映画「希望のちから」から汲み取る医療の行動規範

昨日まで実家の家族と長期旅行に出かけていた妻と娘が帰ってきて、久しぶりに騒がしい朝と夕刻の日々が戻ってきた。


家事から解放されていたこの10日間、本を読む時間もできたが、久しぶりにDVD鑑賞もできた。随分前にアマゾンで購入したまま観れずじまいだった、「希望のちから」である。


CNJの柳澤さんオススメの映画だったのだが、その出来映え、期待通りの秀作だった。


この映画、乳がん治療薬ハーセプチンの誕生にまつわるドラマが描かれている。


医薬品の開発は、よく石油の掘削に喩えられる。穴掘って当たればドデカいが、大概はハズれ。候補物質が世に出てくる確率は100に2つ3つという世界で、それくらい一つの薬が世に出てくるまでには色んなハードルが待ち受けているのだが、そのハードルが何なのかが非常にリアルに描かれている。


特に印象に残った場面が、PhaseⅡからPhaseⅢにかけてだ。80年代当時はいわゆる”Compassionate use” (人道的薬剤投与)が無かったため、治験が終わると効果が認められていても投薬を続けられなかった。PhaseⅡにエントリーした患者の内、PhaseⅢに引き続きエントリーできない患者に対し、投薬をお断りする、まさに”希望を断つ”仕事をしなければならなかった主人公の苦悩がひしひしと伝わってくる。


こういう場面を見ると、”Compassionate use”の制度を最初に導入した人たちは、素直に偉いなと思う。


主人公が「たとえ自分の家族が患者だったとしても、貴方たちは同じ事を言えるのか」と製薬会社の幹部たちに激高して叫ぶ場面があるのだが、これは医療に携わるすべての人につきつけられるべき問いであろう。医師はもちろんのこと、医療行政や製薬会社の人間も、すべからくこの問いを最も根源的な行動基準としなければならない。