「卑下」の国ニッポンで最も将来有望な職種

妻の実家の旅行の留守居役を務めていた週末、久方ぶりに日曜朝にTVをつけると、「サンデーモーニング」(”喝!”の番組)がやっていた。しかし、この番組、「高齢化」が進む日本の現状をそっくりそのまま映したような番組だ。久しぶりに見た大沢親分は一回り小さくなって、ろれつが回んなくなってきている。関口宏もコメントに切れが感じられない。周りのコメンテーターも、以前と比べて明らかに元気が無い。


で、そんな日本の将来を考える上で、愛読している「ちきりん日記」の7月30日エントリー「日本はアジアのイタリアに」が、面白い視点を提供してくれている。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100730


イタリアを目指そうって書いてあるけど、目指すまでもなくほとんど「イタリア化」しているんじゃないかと思ったのは私だけだろうか。


今回のエントリー、最後のところがミソだと思う。


イタリアと日本の違いは“気の持ちよう”だけです。イタリア人の多くが“これでええねん”と思っているのに、日本には“これじゃあかん!”と言う人が多すぎる。


これは、言い得て妙、だった。確かに、日本人は「卑下」好きな国民だ。


成し遂げた事をアピールすることはほとんどなく、うまくいかなかった事・足りなかった事でニュースは溢れかえっている。僕も海外に出て日本の良さに気が付いた時、日本人ももうちょっと自信を持てば良いのに、何でいつも反省というか卑下ばかりしているのだろうと思ったものだ。レジメ(履歴書)の書き方一つとっても、他国の人(特にインド人!)は実際よりかなりインフレしたイメージをつくるのが上手いけど、日本人は真逆である。


でも、この「卑下文化」こそが、日本の強みの源泉でもある。このままじゃいけない・もっと良くしなければいけないと思うから、色んなモノやサービスがディテールレベルまで磨かれる。強み、って自分が周りからそうと言われなければ気付かないくらいのレベルで日常化しているようでなければ真の強みとはならない。


なので、僕としては「卑下」文化このままで結構、と思っている。「卑下」のウラには「今に見ていろよ」という反発心が必ず隠れている。それすら無くなった時こそ、本当に競争力が無くなったことを意味する。


さて、そうは言っても「良いものは良い」と褒める&伸ばす習慣は持ちたい。ちきりんさんの今回のエントリーで最も共感したのは、「日本の良さは”食”にある」という点だ。これは、アメリカのように食文化の貧しい地域に住むと、より一層実感する。単に美味なだけでなく、健康にも良いことも付け加えたい。


"sushi”以外の日本食にもかなり興味を持つ外国人が増えている事を、今朝の日経で報じていたが、その動きはもっと加速化すると思う。タコ焼きやお好み焼きなんかが、気が付いたらピザやタコスと同じくらいメジャーな食べ物になっていても不思議は無い。


ということで、僕自身は、繊維・鉄・電化製品・クルマと続いてきた日本のキラー輸出コンテンツの”次”は”食”であると思っている。ただ、今回は”モノ”だけではなく主に”ヒト”と”仕組み(店舗運営)”も輩出することになる。


日本(人)の競争力低下がうんぬんされる事が多いが、食の職人さんだけは、間違いなくGlobalに打って出る競争力を備えている稀有な人材なのである。日本の行く末を考えると、多少の英会話ができるホワイトカラーより、よっぽど”食っていける”職ではなかろうか。