「最小不幸」の豆鉄砲

堺屋太一健在なり。
昨日の日経新聞の論考を見て、そう思わずにはいられなかった。


昨今の政権がコロコロ変わる様が戦前のそれと極似しているという指摘、非常に的を得ていたと思う。実は自分自身も同じようなことを感じ、1週間ほど前に明治時代からの首相の在任期間をざーっと眺めていたので、まさに「御意」であった。


それにしても、「一発お笑い芸人よりも短命」とか「鉢植え内閣」とか、堺屋さんの言葉の切り取り方には、相変わらず冴えがある。ぜひ長生きして「日本のドラッカー」みたいな存在になって頂きたい。


さて今回の政権交代、私が注目している点は2つある。


1つは、菅首相が発した「最小不幸の社会をつくる」というビジョンを、どう浸透させるのかという点。


このビジョン表明、私はかなり良かったと思う。少なくとも、鳩山前首相の「友愛」というどうとでも取れるヤワいものより、よほど明確である。


「最小不幸の社会」というキャッチフレーズから、「上げ潮派」の人たちは経済成長をおろそかにしている的な声が出てきそうだが、実はどちらの主張も根は同じ。経済成長なくしては最小不幸の社会を保つための財源も出てこないし、「セーフティネット」がきちんと機能しているという安心感はチャレンジ精神を生む。両者は表裏一体なのだ。


「政府の役割は最小不幸の社会を創ること」のもう一つのウラの意味は、それ以外の役割(規制)は可能な限り取り払うこと、にあると見ている。我々が本当に見ていかなければいけないのは、更なる規制改革の仕掛けがどう進むのか、そして事業仕分けが本当に実行部分まで徹底されているかどうか、の検証だ。「官僚の支配強化」という堺屋さんの心配が「杞憂」に終わるのかどうかが、ここにかかっている。


もう1つの注目点は、郵政の法案をどうするか、だ。こちらの方は非常に短期的な話だが、民主党の”本音”がどこにあるか、を測るリトマス試験紙という意味で重要だ。1点目の注目点での私の期待が的を得たものか否か、これでわかる。


私は、小沢一郎は自民党を徹底的に潰すために、あえて筋を曲げていたのではないかと見ている。戦いにおいては相手が弱りかけた時に手を抜かずに徹底的に叩く、というのは常道である。従って、医師会、兼業農家特定郵便局長といった「旧勢力」と一旦手を結んだ形に見せてはきたが、あくまでも今回の参院選挙で自民党の息の根を止めるための対策であって、その後まで本気で旧勢力の権益を守る政治を広めようとしていたとはどうしても思えないのだ。


そうした意図を理解している執行部は、事がこうなった以上は、郵政法案も致し方なく時間切れという形に持ち込む。それで国民新党が付いてくるのであればそれも良し、連立を離脱するのであればカメが悪役を演じることとなり、さらに良し、ということだろう。


今回は、小沢・鳩山の作戦勝ち。
豆鉄砲を喰らったのは、ハトではなくカメかもしれない。というのが私の診立て。


自民党?小泉去りし後「戦将」が消えた自民党は、悲しいかな将棋で言えばすでに「詰み筋」に入っている。