個別化医療が招く検査薬の時代

個別化医療」という単語はしょっちゅうマスコミにも登場しており、すでにして手垢がついてきた感があるが、見逃してはいけないのが、個別化が進むにつれ「検査薬の時代」への流れが進むという点であろう。


検査薬と言っても色々あるが、この場合、その患者さんにとってある治療薬が効くか否かを事前に判定する薬、ととってもらえれば良い。


がん治療で有名なのは、大腸がんにおいて、K-RASという遺伝子の変異の有無によってセツキシマブ(アービタックス)という分子標的薬の効果が全く異なる、というものがある。ロシュ・ダイアグノスティックスがこのK-RASの変異を検出する新製品をそろそろ発売開始するころだ。


アービタックスのように一連の投与で100万円単位にもなり得る高価な薬剤であれば、なおさらこうした検査による"選別"の価値が上がる。そして、以前のエントリーにも書いたように、高額な薬剤が今後次々と出てくる(がん領域では、有用な検査薬の開発・導入が大いに望まれるのである。


ということで、個別化医療は患者や保険者にとってが朗報なのだが、製薬会社にとっては本音のところは「そこまでわかっちゃっても困る」という部分がある。なので、彼らにあまり期待してはいけない。


一方、検査薬メーカーは検査薬の単価が低いこともあり、企業規模は製薬会社のそれと比べると著しく小さく、マーケティング・パワーも身の丈程度のものしかない。


精度の良い検査薬に対し高価格を付け、保険でのカバーを100%にしてイノベーションを促す、というような戦略を国が採り、"検査薬市場"がぐっと医療市場の中で存在感を増すというような日が5−6年程度のうちにやってくるのではないか、というのが僕の仮説だ。