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患者会の"連携"の意味

医療への視点

前職の時代から、がん関連の患者会活動をされている、もしくは患者会をサポートされている多くの方々と知己になる機会を頂き、色々な形でお付き合いが続いている。


僕自身、実際に会ってその方の目を見て声を聞いてでないと、感得できないものがあると思い、患者会活動に携わる多くの方々直接に会ってお話しを重ねてきたことが、今になって目に見えない貴重な財産になっている。その意味で、お会いしてきたすべての方に、大変感謝している。
(先週金曜日も、兼ねてからじっくりお話ししたいと思っていた方と、非常に有意義なランチを共にすることができた)


がんの患者会でよく言われる事が、各患者会の活動がばらばらで、下手をすると感情的なしこりがお互いにあるケースもあり、なかなか統合したパワーを発揮できない、というものがある。これは、患者会同士を結びつける連合体的な組織が作られてもうまく回らずに退縮している歴史が雄弁に物語っている。


患者会活動をサポートする企業側の人間も、コンタクトする相手が絞れずに困っているところが実際多い(変な絞り方している会社もたまにあるけど)。そんなこともあって、「がんの患者会はもっと連携できないものか」というように言われる方も結構いらっしゃる。


しかし、ここはちょっと一歩引いた目線で考え直した方が良い。本当に"連携"が必要なのか、そしてそもそも"連携"って何なのか。


コンサルティングの師匠の教えの中で今でもなるほどと思っているものの一つに、「"連携"という言葉を使うな」というのがある。"連携"は非常に耳触りは良い言葉だが、本当に意味することが何であるかクリアにわかっていないために、"ごまかし"で使っているケースが実は多いのだ。


従って、ここでも患者会の連携とは何だろう(=連携をすることによって達成したい事は何だろう)、と考えてみる必要がある。


がんの患者会については、何らかのイベントを多団体で一緒に行なうのが、連携だったと言って差し支えないように思う。例えば、「がん患者大集会」や「リレー・フォー・ライフ」の開催などがシンボリックなものとしてあった。


こうしたイベントは、良い意味で"お祭り"だし大義名分はあるので皆とりあえず乗り易い話だが、実際の運営ではオカネもかなり動くし、しっかりしたガバナンスの下、マネジメントに長けた人材ががっちり入っていないと、モメる要素はたくさんある。がん患者さんの場合、残念ながら中心に入っていた優れたリーダーが体調を崩されたり亡くなられたりというケースがままあるので、そうなると良い形での"連携"の継続はなおさら難しい。


ということで、皆で乗るイベントとは違う形で、もう少しゆるい形で第三極が連携の核になるという格好の方がうまくいきそうな気はする。最近では日本医療政策機構が、「がん患者サミット」で"地域での政策立案"という目的で連携の核となっており、これはこれで一つの形なのだろう。


しかし、それでもなぜだか多くの方の間に"何となく物足りない感"が漂っている気がするのだ。


僕が思うに、誰かが中心になってリードしたり指導したりするモデルとは全く別の「プラットフォーム」を創ることが解のような気がしている。参加者がそれぞれに書きたいような絵を描けるプラットフォーム。それが何なのか、もっと考えていかなければならないが、いずれにしてもこの問題は今後真正面に取り組んでいきたい。


為にする連携は必要でなくとも、結果的に生まれる連携は良し、であろう。