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分子標的薬に思う

今日は臨床腫瘍学会の学術集会に参加。昨秋のがん治療学会以来、久しぶりの学会であった。


学会の演題の多くが最近次々に登場している"分子標的薬"に関するもの。
しかし、いくつかの演題を見た後で、がん治療における分子標的薬ってどんな意味があるのだろうと改めて考えさせられた。


次のような状況を想定してもらいたい。
「サイコロの目が偶数か奇数かかけてください。かけ金は100万円。当たったら250万円もらえます。」と突然言われたとする。
あなたなら、乗りますか?やめときますか?


ロジカル(科学的)に考えれば「乗る」が正解である。
期待金額は125万円(250万円×50%)で、かけ金を明らかに上回るので。


では本当にそういう機会が目の前に突然出てきて、選択を迫られた時、ロジック通り「乗りたい」と考える人がどれくらいいるだろうか?おそらく、100万円ポンと軽く払える人であれば乗るだろうが、100万円すってしまうことがものすごく"イタい"人は乗らない、というか乗れないだろう。


実は、がん治療における分子標的薬の選択は、上記のような状況に近いものがある。


分子標的薬は従来の抗がん剤での治療と比べて、薬剤費が圧倒的に高い。一通りの治療で100万円以上の医療費がかかるようなケースが出てきている。高額療養費制度を使えば半分くらい後で戻ってくるという話はあるが、いずれにせよがん患者さんのおかれている境遇を考えれば、かなりの高額であることに変わりはない。


一方で、(これでもがん治療では画期的なのだが)期待できる効果は、投与後5年時点での生存率が50%から55%に上がりました、みたいな話である。


こうなってくると、かけ金100万円のギャンブルの話と同様、「分子標的薬は"金持ちでないとやれない"医療」と言われかねない。


医師は"科学者"であるので、そういった事情は関係なく、「こちらの治療の方が、良い成績が上がっている。」という、科学者として全うな理由で分子標的薬を勧めるケースが多いであろう。こうなると、患者さんにたくまずして"苦渋の選択"をせまっていることになりかねない。


そうならないためにも、特に働き盛りの患者さんのがん治療の場合は、医療費の負担は通常の3割ではなく1割にするといったような工夫を加えていくべきであろう。