官僚叩きでは未来を創れない(1)

<「政治主導」で本当に良いのか>


景気がなかなか戻らない中で、就職戦線は厳しさを増している。そんな中、公務員の人気は高まってはいるものの、いわゆるキャリア官僚については人気凋落の傾向に歯止めがかからないようだ。マスコミの長年のキャリア官僚叩きとここにきての民主党政権の追い打ちの効果が顕著に出てきたとも言えると思う。


しかしながら、こんなことをしたところで官僚が卑屈になってモチベーションを下げるだけで、この国にとって全く資するところはない。現に私が知っている有為なキャリア官僚も、30代半ば過ぎてからモチベーションががっくり下がっている例が複数ある。


官僚機構を持つことは、政権が交代しても一貫した政策実施が期待できるという利点がある。また、政治家がともすると地域への利益誘導に陥りがちなところを、全体最適を考えてグランドデザインを描き、それが着実に実行されるようにするエンジンともなり得る。この国を長期的にどのような方向に持っていくべきかという、志のこもったビジョンを掲げて戦略を立て実行していく精鋭部隊で官僚機構があってもらわねば、我々にとっては税金の払い損である。

 
民主党の言う「政治主導」は「政治家主導」と言い換えても良いのだろうが、聞こえは良いものの実はかなり危険な要素をはらんでいる。「政治家主導」が行きわたってしまうと、醜い利益誘導があからさまに行なわれるリスクが顕在化する。現に、今の民主党の動きを見るとそんな匂いも出てき始めているではないか。だが、日本に今そんなことをやっている経済的余裕は無い。官僚には、政治家の力に屈しないだけの力と気概を持ってもらった方が国民にとっても良いのだ。


<天下りへのメスの行き先>
とはいえ、民主党が行なおうとしている事業仕分けや天下りへのメスは、今までの膿を表に出すという点で意義あるものと考える。


ここで間違ってはいけないのが、すべての天下りが悪いという話ではないということ。お手盛りで作った公益法人に次々に天下っていく仕組みがよろしくないのだ。野で戦える力のある人がどんどん民間に出て行くのは同じ天下りでも良い天下りである。


ただいずれにせよ、”悪い”天下り先を整理することで、今までよりは本省に残す人材が増えることが予想され、その人たちにどんな付加価値を生み出してもらうのか、をセットで考えなければならない。では、官僚が生み出すべき実務面での付加価値とは何であろうか?私はそれは「徹底的な検証機能」だと考える。