医療のコストと質

医療崩壊」が論じられる中、医師が持ち出しがちな議論としてどうにも納得がいかない点が一つある。それは、「コスト」と「質」がAltrenativeである(あちら立てばこちら立たず)ということを所与のように思っている点である。


昨日もあるメルマガで、以下のような投稿があって閉口した。

                                                                                                  • -

【アクセス、クオリティーのどちらを選ぶのか】

  医療に関しては、アクセス、コスト、クオリティーが並び立たないのは自明のことです。今回の診療報酬の改定に当たり、総医療費が殆ど増額されなかったということは、アクセスかクオリティーのどちらか、あるいはその両方を犠牲にしなさいと命じられたことを意味します。従って、中医協としては、専門的観点に基づき、少ない予算のなかでの配分を決定する際に、国民に対して「出来ないことは出来ない」と犠牲となる部分を明確に説明することが重要です。

                                                                                                  • -


大体、どんなサービス業でも「利便性やクオリティー(合わせて"便益")を下げずにコストを下げる」とか、逆に「コストを上げずに便益を上げる」競争を行なうのは自然な姿なのであって、医療だけが例外でいられると考える方がおかしい。百歩譲って、便益も上がるけどコストも上がるといった話であっても、「コストあたりの便益」は常に改善することを考えなければならない。


これは、以前のエントリー「Redefining Health Care」に出てくるPorterの理論とも相通じるものである。
http://d.hatena.ne.jp/healthsolutions/20100118/1263824297


ちなみに、Porterは同書の中で「コストと質は対立しない。それどころか、むしろコストの低減と質の向上は同時に起こる」としている。これはあらゆる業態の民間企業にもあてはまることだし、医療も例外でないだろう。


特に日本のように"病院過剰"の状況にあっては個々の病院は好むと好まざるとに関わらず「コストあたりの便益」の競争を行なわざるを得ない。特に過当競争の都市部では「アクセス」はそれほど犠牲にせずに、この競争を行なえる環境にあると思う。


このメルマガ記事の投稿者がいみじくも書いていたが、病院数が多すぎて専門医師が拡散しすぎているのが現状の問題の根幹だ。この状況を変えるために、"中医協頼み"をする前にやるべきことはいくらでもあるはずで、それができないのであれば"医師による病院マネジメント"は放棄すべきであろう。